かながわブランド 下中たまねぎ
小田原で生産されている『たまねぎ』は神奈川県内の約4分の1の生産量を誇っており、小田原市下中地区は、たまねぎの名産地として知られています。約100戸の農家が20haの畑で600tもの「しもなかたまねぎ」を生産しています。
「しもなかたまねぎ」の美味しさの秘密は土作りにあります。近くの畜産農家の堆肥をふんだんに投入して、有機質をたっぷりと含んだ畑が大きなたまねぎを実らせます。辛味が少なく柔らかいのが特徴で『かながわブランド』に指定されています。
甘味が強く、生食用として人気が高くなっています。
たまねぎのオーナー制度
小田原市下中地区ではJAかながわ西湘青壮年部による、たまねぎのオーナー制が実施されています。秋には苗を定植し、春には自分で収穫します。
オーナー制度は、遊休農地の有効利用と地場産「下中産タマネギ」のPRが目的でオーナーに畑の一区画を提供し農作業を体験してもらいます。JAかながわ西湘青壮年部下中支部部員が苗の定植から収穫まで、栽培管理や作業指導をお手伝いいたします。
お子様にも出来る簡単な作業ですので、是非、ご家族で採れたての「しもなかたまねぎ」を味わってみて下さい。
連絡先 JAかながわ西湘下中支店
〒256-0803 小田原市中村原741-1
電話0465-43-0312
小田原で生産されている『たまねぎ』は神奈川県内の約4分の1の生産量を誇っており、小田原市下中地区は、たまねぎの名産地として知られています。約100戸の農家が20haの畑で600tもの「しもなかたまねぎ」を生産しています。
「しもなかたまねぎ」の美味しさの秘密は土作りにあります。近くの畜産農家の堆肥をふんだんに投入して、有機質をたっぷりと含んだ畑が大きなたまねぎを実らせます。辛味が少なく柔らかいのが特徴で『かながわブランド』に指定されています。
甘味が強く、生食用として人気が高くなっています。
たまねぎのオーナー制度
小田原市下中地区ではJAかながわ西湘青壮年部による、たまねぎのオーナー制が実施されています。秋には苗を定植し、春には自分で収穫します。
オーナー制度は、遊休農地の有効利用と地場産「下中産タマネギ」のPRが目的でオーナーに畑の一区画を提供し農作業を体験してもらいます。JAかながわ西湘青壮年部下中支部部員が苗の定植から収穫まで、栽培管理や作業指導をお手伝いいたします。
お子様にも出来る簡単な作業ですので、是非、ご家族で採れたての「しもなかたまねぎ」を味わってみて下さい。
連絡先 JAかながわ西湘下中支店
〒256-0803 小田原市中村原741-1
電話0465-43-0312
富士屋ホテルメインダイニング80周年記念ディナーでも小田原下中産タマネギが紹介されているので、紹介します。http://www.fujiyahotel.jp/restaurant/thefujiya.html
1930年(昭和5年)に建てられた富士屋ホテルの食堂棟が、2010年5月31日に80周年を迎えます。
それを記念し、歴代の総料理長により生み出されたメニューをここに復刻。
特別コースにてご用意いたしました。富士屋ホテルの歴史を存分にご堪能ください。
Brillant ~ブリヤン~
食前のお愉しみ
須川産トラウトサーモンの自家製燻製
小田原下中産タマネギと共に
第三代総料理長「小島 源太郎」伝統の味
箱根山麓の湧き水から作ったコンソメスープ
第四代総料理長「百鳥 雅」のスペシャリテ カマスのマルセイユ風
第五代総料理長「山野内 保雄」自信の一品
国産牛フィレ肉のステーキ フレッシュフォアグラ トリュフソース
第六代総料理長「村中 伸吉」スペシャリテ バナナのパルフェ
富士屋ホテル自信作ホームメイドパン
オリジナルブレンドコーヒー 又は オリジナルブレンドティー
それを記念し、歴代の総料理長により生み出されたメニューをここに復刻。
特別コースにてご用意いたしました。富士屋ホテルの歴史を存分にご堪能ください。
Brillant ~ブリヤン~
食前のお愉しみ
須川産トラウトサーモンの自家製燻製
小田原下中産タマネギと共に
第三代総料理長「小島 源太郎」伝統の味
箱根山麓の湧き水から作ったコンソメスープ
第四代総料理長「百鳥 雅」のスペシャリテ カマスのマルセイユ風
第五代総料理長「山野内 保雄」自信の一品
国産牛フィレ肉のステーキ フレッシュフォアグラ トリュフソース
第六代総料理長「村中 伸吉」スペシャリテ バナナのパルフェ
富士屋ホテル自信作ホームメイドパン
オリジナルブレンドコーヒー 又は オリジナルブレンドティー
下中たまねぎの歴史
タマネギはユリ科ネギ属の植物で、中央アジアの原産といわれています。 神奈川県内でもっともタマネギの生産が多いのは小田原市です。収穫量は1,370㌧で県内の約1/4 を占めています。
小田原市でも特に下中地区でのタマネギ栽培が盛んで、その栽培の歴史は大正時代末期にまでさかのぼります。
小田原市中村原の真壁浦次郎氏ら数名により、「二宮丸」という品種のタマネギが作付けられたのが初めで、その後増加していきました。
昭和初期の農村恐慌の時には、麦に代わる換金作物として「泉州黄」とともに導入され産地化が進んだとされています。
「二宮丸」は第二次世界大戦後まで黄タマネギの主力品種として栽培されましたが、「べと病」という病気の発生により栽培が困難になりました。
栽培後期や収穫期が梅雨と重なることが病気の原因と考えられ、昭和25 年頃から生産の主体が「二宮丸」のような晩生種から早生種へと品種が変遷し、現在は「ソニック」「七宝早生7 号」「湘南レッド」などが栽培されています。※ 抽だい(ちゅうだい):とう立ちとも呼ばれ、温度や日長の影響で花芽を付けた茎が伸び出すこと
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